カップヌードル or ダイアモンド? / Let’s get Americanized!
前回のコラムでは欧米のサービスに対しての価値観を紹介しました。
今回は価値観についてさらに深く考えてみたいと思います。
価値には本質的価値と付加価値がある
もし、次のような質問されたとします。どのように答えるでしょうか?
カップヌードル1個とダイヤモンド1個どちらが価値がありますか?
これを考えるには、価値というものを本質的価値と付加価値に分けて考える必要があります。
価値というと一般的に社会的な価値のことを表します。物の値段は社会の中でどれだけ価値があるかで相対的に決まっていきます。この観点からするとカップヌードルはせいぜい数百円であり、ダイヤモンドは大きさにもよりますが何十倍、何百倍もの値段がするのでダイヤモンドのほうが価値があるとされます。
なぜダイヤモンドにその値段がつくのかは、その希少性であったり、それを欲しがる人の数が供給を上回っているために高額になっています。社会の中でとても価値のあるものという客観的な判断がされています。
ダイヤのアクセサリーなどは綺麗で身に付けると気分も上がって美しさに磨きがかかるので欲しい人が多くいます。より美しいダイヤモンドをプレゼントすることを競って世の男子たちはお金をだして競い合いその結果値段が上がっていきます。それに比べてカップヌードルはコンビニやスーパーでどこでも手に入れることができるため価値のある物と考えている人はそう多くはいないかと思います。いつでもどこでも入手できるので値段がとても安くなっているのです。
もし世界中の食糧が一気になくなったとしたら
ここで、もし何かしらの災害などで世界の食糧が不足し、明日食べる物がないくらい社会が崩壊する状況が起こったとしたらどうでしょうか。ダイヤモンドはただの石となり、カップヌードルは今日を生き延びるための食糧となり価値が逆転します。世界が崩壊して宝石を取引するような場所がなければダイヤモンドはただの石であり、食糧にすらならないのです。
つまり、ダイヤモンドは社会が回っているという前提でのみ価値がある付加価値であって、本質的な価値はゼロにひとしい石ころであります。カップヌードルは付加価値はほぼゼロに等しいながらも、いざというときには人間に最も必要なものを供給できる本質的価値がとても高いものになります。
世の中は付加価値で成り立っている
このように、実は本質的価値がとても高いものは日常にたくさんあって私たち日本人は多くの物に囲まれていてとても幸せな状況です。ところがこの本質的価値に目がいかなくなると付加価値を求めてしまう満たされない状況になり、結果お金を使うことで満たされる方向になってしまいます。それがいけないということではありません。世の中は付加価値でなりたっていますので、それを求めることで活性化する側面があるのでそれはそれでいいことであると思っています。私もすぐにゴルフ用品を買ってしまう悪い癖がありますが、ゴルフ用品の本質的価値は本来ゼロに等しく、嬉しくなりつつ罪悪感にかられるということを繰り返しています。とはいえ、付加価値を楽しむことは悪いことではなく、それによって仕事や家庭などに違う形で良い影響がでることもありますのでエンターテイメントとして付加価値を楽しむことも人間にとって必要なことです。
重要なのはバランスと本質を見抜ける力
ここで重要なことは、自分が今求めているものは本質的な価値ではなく付加価値である、そこらじゅうにあるものは付加価値はないものの本質的価値が高いと認識できる力があり、その中でバランスをとることです。本質的価値ばかり求めすぎてしまうと、節約志向になりすぎて人間性の幅に問題がでてきたり、付加価値ばかり求めすぎるとただの浪費家になってしまうからです。そうならないためには本質的価値を見抜く力というのはとても重要であります。自分にとって本当に必要かどうかを判断できる能力になるからです。
ブランド物、芸能人、高級品などの多くは付加価値でなりたっています。本質は、ただのバッグ、ただの人、ただの時計ではあるものの社会の中で希少性が高いために憧れる人が多い対象になっています。ブランド物や高級品は素材や製法のクオリティが高く、そのため値段に反映されている側面もありますが、芸能人にいたっては、完全にダイヤモンドと同じです。私はアメリカで世界のセレブリティと接する機会が何度もありましたが、全員ただの人でした。夢を壊すような内容で申し訳ありませんが、それを知ることで本質が何かということを見抜けるようになり、その状況において適切な判断ができるようになっていきます。付加価値のものを盲目的にではなく、エンターテイメントとして楽しめるようになるのです。
まとめ
欧米人は日本人に比べてこの価値をしっかり分けている傾向にあり、お金がある人は付加価値を大いに楽しみますが、お金に余裕がない場合は本質的価値のあるものを大事にします。日本では、報道やメディアなどで社会的に価値があるとされるものを日本人全員で価値があるとして一大ブームになったりしますがそのような傾向も日本に比べて欧米ではあまり起こりません。それは個人個人の価値というものを重視していることに起因していて、英語のバックグラウンドにはそのような考え方があることを知ることで英語文化の理解に繋がることから紹介させていただきました。極端な例ではありますが参考になれば幸いです。
Writer:James
アメリカ在住約10年を経て日本に帰国。アメリカ、イギリスでの豊富な経験をもとに帰国後は多方面で活動。純日本人ながらアメリカの黒人文化に囲まれて過ごすという異例の経験を持つ
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